Search


Category Archives

2008年03月26日

ウェールズ公チャールズのこと

ダイアナのことは本当に不可解な点が多すぎる。
ますますなぞは深まるばかりですね。


1948年11月14日、エディンバラ公フィリップとエリザベス妃(当時)の長男として誕生。12月15日には宮殿内で洗礼を受けた。

1952年、祖父・ジョージ6世が崩御し、母・エリザベスがイギリス女王に即位すると、チャールズは推定相続人として王位継承順位が1位となる。それに付随して、コーンウォール公・ロスシー公の称号を得た。さらに1958年には、チェスター伯・ウェールズ公の称号を得た。事実上の立太子にあたる。1968年には女王からガーター勲章が授与され、21歳でウェールズ公としての戴冠式を行った。

幼少時から将来の国王となるべく、フィリップの意向で厳しい教育を受けた。特に父の勧めでバークシャーのグラマースクールやスコットランドのゴードンストン校で、中産階級の子供たちと学んだことが多かったが、当然のことながらチャールズと同じ階層の生徒が一人もいなかったため、いじめやからかいの対象になってしまった。これが原因で、自分の息子たちをイートン校に入れたと言われている。

ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学ぶ。後に、ウェールズ語を学ぶためにウェールズ大学に入学している。

1981年7月29日に、スペンサー伯爵令嬢ダイアナと結婚した。その後二人の王子が誕生した。

しかし、結婚後もカミラ・パーカー・ボウルズとの不倫関係が続き、ダイアナとの関係は極度に悪化した。1992年ダイアナと別居、1996年8月、ダイアナと離婚した。その後1997年にダイアナがパリで事故死したが、この際にチャールズはダイアナの姉妹とともにパリへ移動している。

ダイアナが過剰な報道によって事故死したため、チャールズは報道機関に二人の王子に対する報道の自粛を要請。協定が結ばれた。

元妃の死後、カミラと公然と交際するようになり、事実婚の関係にあったが、2005年4月8日にウィンザー城礼拝堂で正式に結婚することが発表された。しかし、ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世の葬儀が4月8日に執り行われることになったため、4月9日に延期された。カミラは亡きダイアナに配慮して、「コーンウォール公妃」と称することが発表された。すなわち、プリンセス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公妃/王太子妃)を名乗ることは無い。

イングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定がある。エドワード8世は離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するために退位している。そのため次期国王には彼の長男であるウィリアムの方が望ましいという主張もある。

リベラルな発言・行動で知られており、特に中国政府には冷ややかな態度をとっている。1997年、香港返還の際には、彼が日記で中国共産党の上層部を「老朽した蝋人形のようだ」と表現していたことが話題となった。またチベット問題には長年強い関心を寄せており、チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世とも交流がある。2008年1月には世界の要人でいち早く、北京オリンピックの式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明したことが明らかになった。同年3月、中国チベット自治区において争乱が生じた際には、3月20日に5月頃ダライ・ラマ14世と会談することが公表された。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
相互リンク
保証人 保証人.net 保証人について 保証人.net 保証人・就職 保証人・就職 保証人 保証人紹介 デリヘル デリヘル情報

Recent Entries

  1. ウェールズ公チャールズのこと