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2009年7月16日

汚い戦争の起源

1976年から1983年にかけてアルゼンチンのホルヘ・ラファエル・ビデラ(Jorge Rafael Videla)将軍率いる軍事政権によってアルゼンチン国民に対して行われた弾圧行為を指す言葉である。この弾圧の始まりについては諸説あり、既に1973年には労働組合員が暗殺の対象とされており、実際の弾圧発生の時期がいつからかについては今も議論が続いている。なお、独立作戦(Operativo Independencia)と呼ばれる対ゲリラ作戦を実行中の1975年にイサベル・ペロンによって布告された「絶滅命令」がこの汚い戦争の起源とする説もある。

1973年、フアン・ペロンが亡命先から帰国すると、ペロン主義者(Peronism)内部における左派と右派の協調路線も同年6月20日に発生した左派による右派への弾圧事件(Ezeiza massacre)によって終わりが見えた。そして、いくつかのゲリラが誕生し、その中でも最も勢力があったのが人民革命軍(ERP)であった。1974年、フアン・ペロンが死亡すると、政権の座は彼の未亡人となったイザベル・ペロンの手に渡った。左派の壊滅を目論んだ彼女は軍及び警察に対し左派を「絶滅」させる為に必要な権限を与える為の多数の法令に署名した。だが、イザベル・ペロンは翌年に発生したクーデターにより大統領を解任され、そして、1976年から1981年に亘るビデラ将軍による軍事独裁政権時代が始まった。そして、ビデラとその後のロベルト・ビオラとレオポルド・ガルチェリ政権によって労働組合員らを中心に学生や活動家数千人が違法逮捕、拷問、殺害、強制的に拉致される等、様々な弾圧が行われた。こうしたアルゼンチン市民に対する弾圧行為をビデラ政権は「国家再編成プロセス」(National Reorganization Processと呼んだ。

この弾圧により1万3千人から3万人が行方不明とされている。また、アルゼンチンの治安部隊と死の部隊はコンドル作戦(Operation Condor)において、他の南米の独裁国家と協力して行動した。後に、アルゼンチンの法廷はこの政府による犯罪行為を人道に対する罪として、これは大量虐殺であると非難した。

2005年、同国最高裁判所は、軍政下の犯罪を不問とする恩赦法に違憲判決を下した。これ以降、拉致、拷問、殺害に関与した元軍幹部らに対する有罪判決が相次いでいる。2008年に終身刑判決を受けたルシアーノ・ベンハミン・メネンデス元司令官は、「共産主義から国家を守るための戦争に従事した軍司令官を罰するのは間違いだ」と主張した。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
この弾圧により1万3千人から3万人が行方不明とされているようです。

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